神様の存在を信じるか?

神様は存在するのでしょうか?
この問題は恐らく人類の永遠の議題だと思います。

いるという人にはいるでしょうし、いないという方にはいないでしょう。

いないという方の理由は簡単。
目で見えないからです。

僕の母はクリスチャンです。

僕が小学生ぐらいの時に洗礼を受けクリスチャンになったと記憶しています。

その時は「ふ~ん」ぐらいにしか思っていませんでした。

別に何を信じようが自分の勝手だろ?的な感じでした。
その気持ちは今でもさほど変わりません。

何を信じるかは他人に押し付けるものではないからだと思うからです。

母がクリスチャンになったきっかけは家庭の事情もありますので深くは語れませんが、高校生ぐらいになった頃に母に聞いた記憶では「自分一人では乗り越えられない」と思ったからというような言葉だったような気がします。
その当時の僕はまだ若く、何も分かっていないいわゆる「クソガキ」でした。

なので神様よりも「今を生きる」ことが楽しくて仕方なかったのでしょう。

自分一人で乗り越えれない壁なんて「弱者の理論」だろ!と当時の僕はその程度の浅はかな考えしか持っていかったと思います。

今考えるとなんて恐ろしい自己中心的なクソガキだったんだろうと思いますが、「神様とはなんぞや?」「宗教とはなんぞや?」の教育を受けずに育ってきた普通の日本人に、神様の存在を意識しろと言われても、それは無理があるではないでしょうか?
当時(小5~高校生)の我が家は父母4人兄弟と6人家族と祖父母と叔母(父の妹)の9人家族でした。

田舎あるあるの大きな家です。

普通と少し違うのは「叔母(父の妹)」が同居してたこと。祖父母は分かるけど、何故叔母が?と思いますよね。

これには理由がありまして、叔母は若年性糖尿病(1型糖尿病)を患い、20代で視力を失ってしまっていたのです。

当時の叔母はまだ若く未婚でしたので、恐らく父は、若い妹。しかも盲目では一人暮らしは不可能と考えたのでしょう。

小学5年生の時から一緒に住むようになりました。

子供のころからよく遊んでくれていたので、僕は叔母のことを「姉ちゃん姉ちゃん」と言って凄くなついていました。

姉ちゃんと一緒に住めることが楽しくて、いつも姉ちゃんの部屋に行っては、くだらない話しばかりしていました。

どんなにくだらない話でも真剣に聞いてくれた姉ちゃんは、思春期のやんちゃ坊主の僕にとっては間違いなくメンターでした。

そして僕は高校時代からはまっていた音楽活動を本気でやりたいと思い、地元の大学には進学せず、高校卒業と同時に東京へバンドメンバーと上京することになりました。

姉ちゃんも応援してくれてましたし、福岡以外の世界が見たいという興味が僕を東京へと向かわせたのでしょう。

おかげで嫁とも出会え、今では4人の子供たちにも囲まれてますので、東京での生活は間違ってなかったと確信しています。
そんなこんなで東京ではバンドとバイトに明け暮れる毎日。

今思うともの凄くエネルギッシュな日々を過ごしていました。
 
東京での生活にも馴染み、福岡へのホームシックも無くなってから随分たったころだったと思います。

ある日、突然実家から連絡があり「姉ちゃんがもう持たないから早く帰ってこい」と…。

糖尿病なのでそんなに長生きは出来ないだろうと、うすうす感じてはいましたが、そんなの早すぎると…。

しかし僕の願いもむなしく、帰福してすぐ姉ちゃんは旅立ちました。

姉ちゃんも母と同じくクリスチャンだったので、葬式は日本風の葬式ではなく、洗礼を受けた教会で賛美歌を歌い、神の元への旅立ちを祝うような感じの告別式でした。

今でも何故だかは分かりません。

その時の僕は悲しみと同時に神に対する怒りが沸き上がっていたのです。

姉ちゃんは生前ずっと「神様が見守ってくれとるけんね。私も頑張るけんあんたも頑張りいよ」っていつも言ってくれていました。

「神様は乗り越えれない試練は与えんけん」と。

でも姉ちゃんは亡くなった。

神は乗り越えれない試練を姉ちゃんに与えたと感じた。
それが僕の神様に対する怒りの正体でした。

東京へ帰る直前に母に言いました。

「神様なんて存在しない。もし神様がいたら姉ちゃんは死んでない。神様は乗り越えれない試練は与えんって言ってたやんか!」と。

母は何も言い返しませんでした。

血は繋がってはいなくともずっと世話をしてきた義理の妹が自分より先に亡くなったことがショックだったのでしょう。

いまでもあの時の母の悲しそうな顔を思い出すと、いつかは謝らなきゃな…と思います。
それから数年後、僕も結婚し嫁のお腹の中で長男が大きくなっていた時のことです。

子供に会えるのが嬉しくて嬉しくて浮かれまくっていた時に、ある事情があり「この子は恐らく生まれてこれない」と言われました。

詳しい状況は省きますが、あの手この手を尽くし何とか助かる方法を探しました。

が、状況は悪化の一途をたどるばかり。
もはや打つ手なし。

長男の生命力にかけるしかないとほぼ死の宣告のようなものを受けました。

しかし、母は強し。
嫁は最後まで諦めませんでした。
「この子を必ず生んでみせる」と。

その言葉に励まされつつも、途方に暮れる僕は、何故かは分かりませんが、正月以外行ったことのない神社へ向かってました。

夜の9時ぐらいだったでしょうか…。

お賽銭1,000円札と一番搾り6本ケースを持って吉祥寺の武蔵野八幡宮で生まれて初めて自分以外のことをお祈りしました。

「神様、頼みます。もしそこにいるのであれば、あの子を助けてあげて下さい。その為なら何でもします。お願いします。」と参拝作法も知らない当時の僕はただただ必死に、何度も何度も頭を下げました。

そして数日後、奇跡が起きました。

もう大丈夫ですと。
今思うとそれがきっかけだったのでしょう。
氏神様ってのはいるんだな…って。

僕は未だにイエス様や仏様のような唯一の神が存在するという確信までは持っていません。

それよりも、この国には古来からその土地を守る氏神様は存在する!ということは実体験を持って確信しています。

それからか、神様や宗教のことを調べることになり、八百万の神という存在を知りました。

当時の無知な僕は八百万も神様いんの?ってことに驚き意味を調べました。

当時は、まださほどインターネットが盛んではなかったので、図書館で本を読んで学習しました。

日本の古い表現では、「八」や「八百」は「たくさん」「数えきれないほど多い」という意味で使われることがあったと。

たとえば「八百屋」。
野菜をたくさん扱う店という意味で使われてたと。

八百万の神様を調べれば調べるほど、何故かその存在が腑に落ちる。

あ、もしかして、あの時はあそこの氏神様が助けてくれてたのか?とか…。

そう考えると「お天道様が見ている」という言葉に妙に納得がいき、お天道様に恥じない生き方をしなければな…と思い始め、いまでは部屋に大きな神棚まで置き、毎朝拝礼しています。

真ん中には天照大御神。向かって右には博多区の氏神である櫛田神社。左には英霊を祀る靖国神社です。

「昨日も一日ありがとうございました。今日も一日家族を見守って下さい。宜しくお願いします」と家にいる時は毎日欠かさず拝礼しています。
長々と書いてしまいましたが、僕は万物に神様が宿るということを信じています。

出張や旅行先ではよほど時間がない限りは宿泊先の近くの神社へ参拝します。

何か悪いことが起きたときは自分の行いの何かが悪かったと反省することも出来るようになりました。

また、神様は神社のみならず、自然にはもっと特別な神様が存在していると感じる時もあります。

幼少期に四万十川のほとりで暮らしていた経験がそうさせるのでしょうか?

映画「千と千尋の神隠し」で八百万の神様がお風呂に入られるシーンは大好きです(笑)

やはり自然に囲まれるとすごく穏やかな、何かに守られているような気持ちになります。

そう考えると、全ては感謝なんだなってことに気が付きました。

ビジネス以外でも、人と会うときも感謝。
今日一日生きれたことに感謝。
笑わせてくれて感謝。
子供達が楽しそうに生きてくれていることに感謝。
僕を生んでくれた母に感謝。
子供たちを産んでくれた嫁に感謝。

感謝は数えだしたらキリがない。
それが感謝の本質だと思います。

そして感謝を忘れると人ではなくなってしまうのでしょう。

残念ですが、ビジネスをしていると、そんな人に時々出会います。

あぁ、可哀そうに。穢れが付いてるなと。

そういう時はなるべく僕が穢れを吸い取ってあげれるようにしますが、僕にはそんな特殊能力はないので最後に小さく祈るぐらいしかできません。

僕の毎日の課題は、今日は何回「ありがとう」が言えるか?です。

つかみどころのない文章でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
これも何かのご縁です。

感謝感謝です。
ありがとうございました。
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NAOTAKA HOSHINA
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