母親という存在

ウチのオカンは世界一

僕の母は、「世界一」だと思っています。母は、盲目の義理の妹の面倒を20年間も見続けました。その愛情、懐の深さは、僕にとっては世界一としか言いようがありません。

なぜそう思うかにはたくさんの理由があるのですが、まず一つ目が、この、20年間の驚くべき献身的な貢献です。

義理の妹(父の妹)は若年性糖尿病で20代で失明しました。
そんな妹を一人にしておくにはいかないということで兄である父は我が家に妹を呼びました。母からしたら義理の妹です。

僕にとっては叔母にあたりますが、叔母はまだ若かったので僕は「ねえちゃん」と言って凄く懐いていました。

前にも投稿しましたが、僕の父は「星一徹」がかすむほどのかなり強烈なキャラクターで僕は父のことを今でも「鬼」だと思っています。

少し話がそれたので元に戻します。

母からすれば血の繋がっていない義理の妹。しかも盲目。
普段は誰が面倒を見るのか?となると、当然主婦である母です。

母は叔母(姉ちゃん)を本当に支えました。
心の底から全身全霊で支えました。

姉ちゃんがどんなに自暴自棄になった時も励まし続けました。

キリスト教の洗礼を受ける

僕が小学5年生ぐらいの時だったと思います。
母と姉ちゃんはキリスト教の洗礼を受けクリスチャンになりました。

その当時の僕は「ふ~ん…」ぐらいにしか思いませんでしたが、今改めて考えると良くあの親父を説得したな…と感心してしまいます。

恐らくですが、姉ちゃんが塞ぎ込んでいたので励ますつもりもあったのでしょう。
「私も一緒に入るから入ろう!」って言ったんだと思います。

そして、キリスト教徒になってから姉ちゃんは凄く明るくなりました。

毎週日曜日の礼拝が楽しみで仕方なかったようで、ウチにもクリスチャンの友達が良く遊びに来てくれて、姉ちゃんもよく笑ってました。

僕にとっても姉ちゃんの存在はとても大きく、鬼の親父にこっぴどくやられた後には姉ちゃんの部屋に行って愚痴を聞いてもらってました。

僕にとっては、本当の姉ちゃんでした。

洗礼を受けた意味を聞いた

ある日、何気に聞いてみました。
「オカン、なんでクリスチャンになったん?」って。

すると答えが「色々とね…一人じゃ苦しかったんよ。でもイエス様がいるから頑張れるようになったんよ」と。

当時の僕は「ふ~ん、そんなもんか~」ぐらいにしか思えませんでしたが、今となってはそりゃそうだろうなと思います。

血の繋がっていない妹の世話を全てするんだから、心の支えが必要だったんでしょう。

母も人間なので感情はあります。
「何で私がこんなことまでしなきゃいけないの!」って思ったこともあるでしょう。

でも母は僕ら子供達には、そんな姿を一度も見せませんでした。

ただ一度だけ、母と姉ちゃんが喧嘩する声を聞いたことがあります。
部屋から出てきたときに母が涙を拭いていたような記憶があります。

何事か?とは思いましたが、そんなことに首を突っ込む度胸もなく知らんぷりをして静かにしてました。

姉ちゃんの最後

僕は高校を卒業すると東京に上京し、バンド活動に集中しました。
とにかく楽しくてスリリングな毎日でした。

東京の生活にも馴染んできた27~28歳ぐらいの時、母から電話がありました。
「姉ちゃんが、もうもたんかもしれんけん、はよ帰ってきて」と…。

糖尿病は合併症が怖いんです。
姉ちゃんも合併症で足がほとんど動かなくなったとは聞いてましたが、ついにこの時が来たか…と。

翌日、急いで飛行機に乗り福岡へ帰る。
福岡空港から病院へ向かう途中に母から電話が…。

電車の中でしたが、もう分かってました。
僕は電話には出ずに実家がある東郷駅まで向かう。

その間に涙が込み上げて、電車の中で号泣してしまいました。

「ねえちゃん、ねえちゃん…、なんで…。イエス様が守ってくれるはずやなかったんか…」と。

母の涙

僕は姉ちゃんの最後を見ることが出来ませんでした。

ただ、母は病院へ駆け付けた僕を見るなり泣いてました。

「姉ちゃんね、最後までほんと頑張ったんよ。尚くんは元気かな?っていっつも言っとったんよ。最後やけん会ってき」って。

姉ちゃんは寝ているようでした。
いつもの姉ちゃんでした。だけど動かなかった。

でも、なんか「もういいよね。こんなにきつかったんやもん。姉ちゃんなら間違いなく天国行きやろうし…」とも思いました。

そしてその後、僕は人生最大の過ちを犯しました。

それは母に向かって「オカン!やっぱり神様なんておらん!神様は乗り超えれない試練は与えんのやなかったんか!。それなのに姉ちゃんは死んだ。なんでや?おかしいやろ!神様なんて絶対におらん!」とクリスチャンである母に暴言を吐きました。

今でも後悔してます。

今の僕はイエス様がいるかどうかは分かりませんが、神様という存在はいると確信しています。でも当時の僕にはそれを受け入れれる度量がなかったんです。

弱く醜い男でした。

マリア様はオカンじゃないか?

母は血の繋がっていない義理の妹を20年にわたり世話しました。
その翌年にはじいちゃん(親父の父)が亡くなり、その2年後には「鬼」の親父が亡くなりました。

4年間で3回の身内の葬儀です。
もはや一家全滅するんじゃないか?と思うほど、人は簡単に死ぬってことを体感しました。

そして母は最後までばあちゃん(親父の母)の面倒まで見ました。

最後の最後はおじさん(親父の弟)が引き取りに来ましたが、約40年間、血の繋がっていない他人の世話だけをし続けた人生です。

僕にそれが出来るか?と言われると「無理です」とはっきり答えます。

そんなん血が繋がっていてもきついでしょう?
身内とはいえ血の繋がっていない人を3人も面倒見たんです。

そこには愛しかありませんでした。
遺産があるような家庭ではないので、他に理由が見つからないんです。

そして今。
母は弟が実家に戻って一緒に暮らしてくれており、孫3人に囲まれて楽しい余生を送っています。

神様が最後に与えた人生のプレゼントなのでしょう。

僕には母が、聖母マリア様だとしか思えません。
何があっても僕の味方をしてくれ鬼の親父から僕を守ってくれました。

もし母がいなかったら、僕は今この世にはいないでしょう。

そんな母もいつかはいなくなります。

そんな日が永久に来ないことを祈りつつ、絶対に、母より長生きしなきゃいけないなと強く想う今日この頃です。
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NAOTAKA HOSHINA
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